源照寺の歴史

  源照寺は、旧薩摩藩の地にあり室町時代の終わりごろより長きにわたり念仏禁制の土地でありました。明治9年9月5日信教の自由解禁布達にあたり、隠れ念仏等の扉が開かれ、薩摩藩各地での真宗寺院建立の機運が高まり飯野地区においても、明治12年に寺院建設の認可が旧幻生寺跡地(亀城麓)に下りました。
  その後、開基住職を鹿児島別院高城説教所より迎え、明治17年6月3日に亀城山源照寺の寺号公称が認可され源照寺がスタートしました。また、源照寺は開基住職没の後、様々な方々に支えられながらも分派を余儀なくされましたが、明治31年に旧福岡県田川郡より第2世住職友清乗便師を迎え事なきを得た所に、明治36年火災により本堂及び庫裏すべてを全焼し、旧跡地より現在の地に明治45年ご門徒の努力により再度建立されました。
  その後、佐賀県西松浦郡より義昭師を第3世住職に迎え、和光幼稚園・第二和光幼稚園を開設し、仏の子どもの育成に尽力し、後に、北諸県郡三股町より憲淳師を第4世へ継承されました。
  今後も今までの伝統を引き継ぎ、新たな時代、そして未来永劫に残していけるお寺をご門徒と一緒に皆様の故郷源照寺を作り守り続けて行きたいと思います。

合  掌
亀城山 源 照 寺  住  職

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